人物紹介佐野さんは、愛知が生んだコンピュータープログラマーで、著名なクリエイターです。写真はGoogle+にて、自由に利用して良い画像として公開されたものですので、拝借しております。 佐野さんについては、ゲーム作家としてや、通信、コンピューターのエンジニアとしてご存知の方が多いものと思います。 しかし佐野さんは、名こそ広く知られていますが、芸能事務所などに所属されているタレントではなく、政治家でも、スポーツ選手でも、ブロガーでもなければ動画投稿者でもありません。 ご本人も、公の舞台でのご活動は積極的になさっていないようで、ほぼ実名を用いず、隠れるかのように、様々なニックネームやペンネーム、ハンドルネームを使い分けられています。 一般の皆様でも、ハンドネームは固定している方が大多数かと思うのですが、佐野さんの場合は百面相かと思うほどです。 たとえファンでも、佐野さんの、全ての顔について、深く理解されている方は少ないのではないでしょうか。 佐野さんは若かりし頃に火災に遭われ、私物の一切を焼失されている上、記憶喪失もご経験なさっているらしく、後遺症も残っていらっしゃるとのことなので、あるいはご本人でさえも。 なので弱音を吐いてしまうと、ファンとしても追いかけるのが非常に大変な人物なのです。 このような理由から、ちょっとやそっと横断検索した程度で追跡するのは難しく、情報収集だけでも一苦労なのですが、本ファンページでは、権威ある方々の証言や、信頼できる資料などを基に、おしみなくご紹介、解説させて頂きたいと思います。 ファンの方々から、敬意を払って「先生」と呼ばれることも多い佐野さんですが、本ファンページでは親しみを込めて「さん」付けで記述します。 余談になりますが、昭和初期の頃、三菱に、佐野さんと同姓同名の技師が所属されていました。 零式艦上戦闘機(ゼロセン)を設計された堀越二郎技師と同様に、日本海軍唯一の観測機として語り継がれる零式水上観測機(ゼロカン)の設計者として名を上げられたのが、工業校出身の佐野栄太郎技師です。 それまで水上観測機設計のノウハウを持たなかった三菱が、零式水上観測機を完成できたのは、佐野栄太郎技師の手腕によるところが大きかったそうです。 このお名前には、技術者の星の下に生まれる宿命みたいなものがあるのでしょうか(笑)。 プロフィール
※2018.05.17時点の情報です。 |